ホーム > ビジネス&起業の総合サイト > ビジネス > アイデア > 転職、起業に朝は来るのか??「あさが来た!」五代友厚のスキルに注目

転職、起業に朝は来るのか??「あさが来た!」五代友厚のスキルに注目

2016.5.25
ビジネスアイデア ビジネススキル 起業 転職

vv
今回は「あさが来た」で話題の五代友厚、その実像を探ります!

五代ロスなる言葉も生まれた五代友厚とは!?

NHKの朝の連ドラとして、大人気だった「あさが来た」は高視聴率が目白押しのNHKの連続ドラマの中でも今世紀最高の視聴率を記録したことでも知られています。その登場人物の中でひときわ異彩を放っていたのがディーン・フジオカ演じる五代友厚。イケメンと品のあるしぐさから五代様と呼ばれ、女性ファンのハートをガッチリ握っていたわけですが、番組内で死去してしまい、それは「五代ロス」と呼ばれるほどの影響を与えました。

元々、教科書にも出てくる歴史上の人物と言えますが、一般にはそれほど知られていなかったと思います。しかし、「あさが来た」のおかげで、一挙に知名度が上がったと言えるでしょう。ここでは、その五代様とは一体何者かを経済界との関係から見ていきたいと思います。

五代友厚のプロフィール

さて、五代友厚は元々、幕末の一方の立役者であった薩摩藩の出身です。激動の幕末に薩摩藩に生まれたことで、幕末史を彩る諸々の事件や出来事に関係しました。例えば、幕府の船にのって上海に行ったときには長州藩の高杉晋作に会ってますし、薩摩とイギリスが戦った薩英戦争ではイギリス軍の捕虜になったこともありました。また、薩摩藩がイギリスに派遣した使節団の一員に加わり、ヨーロッパ各国を見聞する機会もありました。そうした中、ついに討幕が実現し、明治の世となったのです。

友厚は1836年生まれだったので、明治の世が始まった1868年の頃、30過ぎということで、ちょうど働き盛りの年齢だったと言えるでしょう。政府の官吏として働いていたこともありますが、その後は実業家への道を歩んでいくことになります。当時の明治政府は薩長を軸とした藩閥政府でしたが、薩摩出身の友厚はそうした政府要人と懇意にしており、いわゆる政商として活躍しました。明治の実業家として東京の渋沢栄一と並び、大阪を代表する人物と言って良いでしょう。

五代友厚の功績は?

幕末から明治にかけて、五代友厚は政財官に亘って多方面な活躍をみせました。その軌跡は多様であり、研究書、解説書、小説など多くの書籍でそれが述べられています。しかし、その中で特筆すべきなのは、やはり商都である大阪を作り上げたという点になるでしょう。つまり、大阪の経済界に大きな功績を残したということです。ここでは、その代表的な功績をピックアップしてご紹介します。

大阪会議の開催

1875年に大阪で開催された大阪会議。その頃、出来てまだ間もない明治政府は、その立役者で会った西郷隆盛、木戸孝允、板垣退助が政府を去っており、ガタガタの状態でした。その危機を回避するために話し合われたこの会議には、大久保利通、木戸孝允、板垣退助が参加しました。それをお膳立てしたのが、伊藤博文や井上馨、そして五代友厚なのです。

当時の政界との深いパイプを持つ五代ならではの手腕が発揮されたと言えます。この会議の開催に当たっては、五代邸で諸々の話し合いが行われ、多くの要人が屋敷を出入りしました。その屋敷は現在、大阪科学技術館のあった場所です。その後、友厚は中之島に新しい屋敷を作りますが、それが現在の日本銀行大阪支店です。

大阪商工会議所を作る!

関西を代表する経済団体として、今でも活発に活動を続けている大阪商工会議所。その前身は1878年に設立された大阪商法会議所です。時は明治11年ですが、維新の大波にさらされ、大阪の経済界は低迷していました。それを立て直す原動力として、この団体が設立されたのです。初代の会頭には五代友厚が就任しました。

大阪証券取引所を作る!

経済の発展にとって、その資金を集める株式のシステムは不可欠と言えます。証券取引所というのは、そうした株式の売買が行われる場所です。現在、国内では東京証券取引所(東証)が最大規模ですが、それ以外にも証券取引所があります。かつて存在した大阪証券取引所(大証)は東証の傘下となり、現在、大阪取引所となっています。この大証を作り上げるのに、奮戦したのが何を隠そう五代友厚なのです。

大阪市立大学を作る!

大阪市立大学の前身となったのが大阪商科大学ですが、さらに源流をたどっていけば、大阪商業講習所に行きつきます。これは商都である大阪に商業を学ぶ場所がないという提言を受けて、五代友厚ら大阪の財界人を中心に1880年に作られました。

以上、五代友厚の活躍の一部をピックアップして説明しました。大阪経済の発展に大きな軌跡を残したわけですが、そこには利益を追求する実業家としての顔と共に、個人を超えて公のために尽力する侍のスピリットがあったのではないでしょうか?また、こうした活躍が可能だったのは実業家としての能力の高さと情熱があったのはもちろんですが、政商と言われる点からわかるように多くの政府要人とのつながり、そして開国後、必要とされた語学力があった点が指摘されています。人脈と語学力の必要性、これは現代のビジネスにおいても同じですよね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket